【 深海の実験室 】 (2001年頃製作)

○序章

次は俺が行く。
そう言い残し、彼は海へ出ていった。

残された私達は、無言で助けを待った。

皆、疲労しきっていた。
息が苦しい。 酸素が少なくなってきたのだろう。

私達は、実験室と呼ばれるドーム状の、薄暗い部屋の中にいる。
外は暗く冷たい海の底。
部屋は海水で冷やされ、白い壁と床が氷のように感じる。
私達は、灰色をした薄手の服を着せられ、胸にはナンバープレートを付けられている。

何故ここにいるのか。 何の為にここへ入れられたのか。
何も思い出せない…。
確かなのは、早くここから出なければ皆死んでしまうという事。

助けはまだ来ない。

そういえば彼が出る前、もう一人海へ出た人がいたらしい。
その人は、無事に地上へ出られたのだろうか。
さっきの彼はどうなったのだろう…。

待ちきれなくなった人達が、体力があるうちにと、冷たい海へ出て行った。
私は皆を呼び止めようとしたが、何故か声にはならない。
そして部屋には誰も居なくなった。 私だけを残して。

助けはまだ来ない。

出て行った皆は無事か?
いや、そもそも本当にここは海の底なのか。
外で、私が出てくるのを待っているのかもしれない…。

そういう実験をしているだけかもしれない。

出てみれば分かる。
私は、部屋の下面にある丸い出口まで行くと、
大きく息を吸い込み、冷たく暗い水の中へと入っていった…。


水は、氷のように冷たい。
上を見ても闇が広がっているだけだ。 水面は何処にも見えない…。

ここは本当に海の中だったようだ。
私は上に向かって泳ごうとした。 だが身体が痺れて思うように動かない。
下を見ると、さっきまでいたドーム状の部屋が見える。
少しずつだが上へ進んでいるようだ。

…苦しい、泳いでる感覚がまったくない。
上へ進んでいるのかどうかさえ分からなくなってきた。
誰か助けて…、早く…、何かの実験なら早く終わらせて欲しい…。

そう思った時、私は以前にも同じような体験をした事があると感じた。
それが、いつ何処でだったかは思い出せない。

息を止めてからどのくらい経っただろう。
闇の向こうに光が見えた。 とても暖かな光。
水面に薄っすらと照らされ、揺れるものが見える。
地上だ。

もう無い筈の力を振り絞り、大きく尖った岩を避け、懸命に泳いだ。
そして、ついに地上へ辿り付いた。


皆は?
辺りを見ようとした時、岩の陰から気配…、いや、違和感を感じた。
人が倒れている。

その人は、ぐったりと横たわり、ずぶ濡れで、苦痛の表情のまま硬直している。
見覚えのある顔だ。
私は、その血のついた額に触れてみた。
何故か、そうしなければならないと感じたからだ。

すると、徐々に無くしていた記憶が鮮明になっていく。

この人は…、いや、私は、荒波に揉まれ、岩に身体をぶつけ、ここに打ち上げられた…。
傷つき、凍えた身体で、薄れ行く意識の中、仲間を思い、そして………。

…そうだ。 あの時、最初に海へ出たのは私だった。 彼の静止を振り切って…。
やっとここまで…、地上まで来れたのに…。

私は、もう死んでいたのだ………

そして、いつの間にかあの実験室へ戻されていた。 この魂だけの存在となって。
海で苦しいと感じていたのは、生きていた頃の記憶だったのだろうか…。
彼や他の人たちは何処に…。

…ん。 いや…、何かがおかしい。
さっきから感じていたこの違和感は何だ。

深海の実験室に隔離された人達。
自分の死体を目にしている私自身。
ここは何処で、誰が何の為にどんな実験を?
これは本当に現実なのか?

うっ…、考えると…、頭が痛くなる…。
…。
頭が痛い? 死んでいるのに。
生前の記憶? まさか。

これは仕組まれている。
根拠は無いが、そう思える。
ここは作られた世界。 誰かに仕組まれた、嘘の世界。
少しずつ、心を覆っていた霧が消えていくのを感じる。

探そう。 元の世界へ戻る方法を。

私は自分の死体を見下ろしながら、そんな衝動に駆られていた。
もしかしたら、この感情すら仕組まれたものかもしれないのだが…。





TOPページへ