はぁ、という自分のため息が静かなダンジョン内に大きく響いた。 「退屈だ……」 ダンジョンの入口から少し離れた場所に立ちながら、俺はぽつりとつぶやく。そうしても返ってくる言葉はなく、聞こえるのは自分の息遣いだけ。 「いつになったら次が来るんだよ……」 こういうぼやきはいつものことだった。ぼやいても仕方がないとはわかっているが、つい出てしまう。 最近、まったく冒険者が入ってこないでいる。最後に来たのはもう半年前だ。 ゾンビとしてこのダンジョンで働くようになってもう五年が経つが、日を追うごとに人の出入りが少なくなっている。 このままじゃまずかった。このままじゃ、俺たちは路頭に迷うことになる。 「誰でもいいから来てくれ……」 少し離れた場所にある入口を見つめながら、願うようにつぶやく。 冒険者が来るということは、死の危険にさらされるということだ。それはわかっている。それでも、俺には彼らの訪問を望む事情があった。。 しかし一向に誰の姿も見えず、なんだか立って見張りをしているのも馬鹿らしくなって、俺はその場に座り込もうとした。 その時だった。 かすかな音が聞こえた。入口のほうだ。顔を上げ、確認する。すると。 人がいた。恰好からすると戦士のようで、装備は軽装だがしっかりと剣を握っている。 「き、来た、冒険者だ」 座りかけていた体を慌てて立ち上がらせ、俺はその冒険者を注視する。 女か。ずいぶん背が小さいな。まるで子供みたいだ。いや、あの顔付きは間違いなく子供だな。 幼い冒険者はダンジョンの入口で立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回している。外見からも、その仕草からも、未熟な冒険者だと言うことはよくわかった。 「弱そうだな……。あれなら俺でも倒せそうだ」 あんなんで大丈夫だろうか……とてもラスボスまでたどり着けるとは思えない。いや、あぁ見えて実は強かったりするのかもしれないしな。とりあえず、実力を確かめてみよう。 「あれ……?」 しかし、その冒険者は俺の予想に反する行動をした。 すぐに帰ってしまったのだ。 ダンジョンの雰囲気に恐れをなしたのか、それとも最初からそのつもりだったのか。 「なんだよ……」 期待が外れ、俺は肩を落とす。 「でもまぁ、明日も来るかもしれないしな」 今日は下見だけだったのかもしれない。明日も現れれば、きっともっと奥まで入ってくるはずだ。 そしてその期待どおり、翌日も幼い女戦士はやってきた。 「よし、ここまで来い」 祈るような気持ちで見つめる。女戦士はすぐに入口があるエリアの中央まで進んだ。 しかしそこで、なぜか座り込んで本を読み始めた。 「えっ、なんで……?」 なぜダンジョンに来て本を読むんだ。意味がわからない。 女戦士は本を読み続ける。俺は少し苛々しながら彼女の次の行動を待った。 そして、やがて3時間ほど経過した頃。 女戦士は読んでいた本を閉じると、すたすたと足早にダンジョンを出て行った。 「な、なんなんだよいったい……」 不満とともに俺はつぶやく。 しかし、女戦士の意味不明な行動は翌日も、その翌日も続いた。 翌日はまるでピクニックみたいに敷物を敷いて弁当らしきものを食べ始めた。そしてそれが終わると、その場で眠った。 「ダンジョンで寝るかよ普通……」 その翌日はまた読書。今度は鼻歌つきだった。 またその翌日は、剣でダンジョンの床に絵を描いて遊び始めた。女戦士が帰った後に見てみると、本人らしき人物が多数の人間をひざまづかせて笑っているという絵だった。 またまたその翌日は、またピクニック気分で弁当。 日が経つうち、俺はかなり苛々としてきた。 あいつはいったいなんのつもりなんだ。なぜダンジョンで本を読んだりピクニックをする必要があるのか。そんなのここでやる必要はない。そのはずなのに、女戦士はずっとそういうことを繰り返した。そして、そのきわめつけは……。 「ある日、金と食料がなくなった見習い戦士が、仲間の戦士にこう言った」 最初の訪問から十五日目のこと、座って本を読んでいた女戦士がいきなり立ち上がって、一人で何事かしゃべりはじめた。 「どうしましょう。このままでは僕たち、飢え死にしてしまいます」 「すると戦士はこう答えた。大丈夫だ。さっき旅人に聞いた話では、この先にある村がもうすぐ魔物の大群に襲われるらしい」 「あぁ、それはよかった。じゃあ、このままゆっくり進みましょうか」 「何を言っている。早く行かねば村が全滅してしまう。そうなったら報酬がもらえないぞ」 「あなたこそ何を言ってるんですか? 報酬なんて貰わなくなって、村人が全滅すれば肉が食べ放題じゃないですか」 そこで独り言は終わった。その後、少しの間無言になり。 「思いついたから言ってみたものの、あまり面白くなかったですね。帰りましょう」 そう言って、女戦士はいつものようにすたすたとダンジョンを出て行った。 「ブ、ブラックジョークってやつか……?」 そうだとしても、ダンジョン内で一人でジョークを言う奴なんて初めて見た。 「もしかして、危ない奴なんだろうか……?」 あんな可愛らしい顔して、人は見かけによらないものだ……。 女戦士は翌日もやってきたが、そのブラックジョーク事件後の数日間は、俺もそれほど接触したいとは思わなくなっていた。 しかしそれでも十日ほどが経つと、やはりまた苛々としてきてしまう。それも仕方がない。毎日毎日、最初のエリアで女戦士はくだらないことばかりしている。 「……あいつ、いったいなんのためにダンジョンに来ているんだ?」 そして、最初の訪問から一ヶ月が経った日、ついに俺は決心した。 今日も同じことをやったら、エリアを移動してあの女戦士を問い詰めてやる。 エリアを移動することは命令違反だ。それでも、もう我慢ができなかった。 そうして、今日もいつものように女戦士がやってきて……。やはりいつもと同じように、座って本を読み始めた。 「あの子供……もしかして俺をおちょくってるのか……? くそ、もう我慢ならねぇ」 それでも、できるのはちょっと話すことくらいだ。エリアを離れての戦闘はさすがにまずい。 「おい、そこの子供戦士!」 「えっ?」 女戦士が、驚いた顔でこっちを見る。俺は構わずに言葉を続けた。 「お前、いったいなんなんだよ。毎日毎日ここでぐうたらしやがって。いったいなんの目的でこのダンジョンに来てるんだよ。いい加減にしろよ。ここはお前の遊び場じゃないんだ」 そこまで言うと、女戦士は困ったような顔をした。顔つきが可憐なせいで、ちょっとかわいそうな印象を受けてしまう。 「あっ、い、いや、別に怒ってるわけじゃないんだよ。ただ……なんでダンジョンに来て本とか読んでるのかって不思議に思ってさ」 「あの……」 「ん?」 「ごめんなさい……」 女戦士の声は姿に似合って、とても愛らしかった。 「……いや、謝らなくてもいいよ。本当に怒ってるわけじゃないからさ。ただちょっと気になって、聞いてみたくなっただけなんだ」 「ごめんなさい……あまり近寄らないでもらえますか?」 「えっ?」 「だからあまり近寄らないでください。臭いので」 「くさ……い?」 「もしかして、ゾンビだから臭いの許されるとか思ってるんですか? 信じられません。まるで可愛ければなんでも許されるビッチ女みたいな人ですね。いや、ゾンビですね」 な、なんだこいつ。面と向かって人を、いやゾンビを臭いとかビッチとか好き放題言いやがって。 「ごめんなさい。傷ついちゃいましたよね。でも、臭いのは本当のことなので」 「いやいや、別に傷ついてないし。俺ゾンビだし、臭いの当たり前だし、むしろ風呂入ったらちょっと溶けるし、傷ついてないし」 「どうでもいいです。とりあえず臭いので、斬っちゃっていいですか?」 女戦士が剣を鞘から抜く。どうやら戦う気はあるらしい。 普段なら受けて立つところだが、ここは担当エリアが違う。ここで戦闘するわけにはいかなかった。 「ま、待て。俺はお前と戦う気はない。ただ話をしたいだけなんだ。本当だ」 「ダンジョンにいるゾンビが人間の前に出てきて、戦う気はないと?」 「いや、普段なら戦うんだが、今は特別だ。約束するよ。絶対にお前を攻撃したりしない。だから剣を納めてくれ」 「本当ですか?」 「本当だ。神に誓う。いや……魔物が神に誓っちゃダメか……と、とにかく誓うから」 「……わかりました。でもその前に離れてください。じゃないと斬りますよ?」 「わ、わかったよ。離れるから」 俺は女戦士の言葉に従い、四歩ほどあとずさった。 「これくらいでいいか?」 「あと2メートルほどお願いします」 「俺、そんなに臭いのかよ……」 腐っているのだから仕方ないが、こういう扱いをされるとさすがにへこむ。 「こ、これでいいだろ?」 「はい、そのへんで大丈夫です。まだかなり臭いですけど、我慢します」 その言葉にちょっと泣きそうになったけれど、なんとかこらえて、俺は女戦士への問い詰めを始める。 「なぁお前、なんで最初のエリアから進もうとしないんだ?」 「進む気はありますよ」 「じゃあなんでいつも本読んだり弁当食べたりくつろいでるんだよ。いつになったら進むんだよ」 「明日は進もうと思ってます」 「本当か? じゃあ今日で下見は終わりってことなのか?」 「別に下見してたつもりでもないんですけどね。このダンジョンの詳しい地図は親からもらってますし」 「じゃあなんで進まなかったんだよ?」 「やる気出なかったからです」 しれっと、悪びれもせず女戦士は言う。 「……」 「というわけで、明日またお邪魔しますね。では今日はこれで」 女戦士はそう言うと、剣を納めて立ち去ろうとした。 「ま、待て!」 「もう、なんなんですか?」 「だったらなんでやる気もないのにお前はこのダンジョンに来たんだよ? やる気ないなら来なければいいだろう」 「家のしきたりなんですよ」 「しきたり?」 「十五歳になったら、どこかのダンジョンを制覇して宝を持ち帰る。それが一族の代々のしきたりで、やらないと家を追い出されちゃうんですよ。ここに来たのは、家の一番近くにあるダンジョンだったからです」 「それなら一日も早く次のエリアに進むべきなんじゃないのか?」 「大丈夫です。期限は一年間なので、まだまだ時間はあります。明日から本気出しますから」 にこりと女戦士は笑う。その笑顔を見て俺は思う。絶対明日も進まない。 「今から出せよ」 「嫌ですよ」 「なんでだよ」 「今日はなんか頭痛いので」 「嘘つけ。さっきやる気出ないからって自分で言ってただろうが」 「うるさいですね。明日は進むって言ってるじゃないですか。だからそれに備えて今日はもう帰るんです」 「信じられるか。どうせ昨日だって一昨日だって、明日はやろう、明日は頑張ろうって思ってたんだろう。そう言う奴は口だけで、実際はいつまで経ったってやらないんだよ」 「私はやりますよ。明日から頑張ります」 「明日から頑張れるなら今日から頑張れよ。今から本気出せよ」 「いや、だから今日は」 「言い訳するな! やれないのはお前が精神的に弱いからだ。そうだろ? お前の弱い心を今変えてみろよ。これはチャンスなんだ。今この瞬間から熱くなれよ! もっと熱くなれよ! 熱く生きてみろよ」 俺は、学生時代を思い出しながらしゃべっていた。 熱くなれ。その言葉は、俺の高校時代の恩師の口癖だった。 その恩師は、昔の怠惰だった俺を変えてくれた人だ。熱い先生だった。俺も最初は反抗したが、卒業する頃には心から慕っていた。 「自分は弱くない。やれる。できる。そう言ってみろ。そうすれば強くなれる。熱くなれる。さぁ、言ってみろ」 先生直伝の熱い言葉は、きっとこいつにも届くはずだ。俺が変わったように、こいつも変わってくれるはずだ。 俺はそう思い、熱い言葉と眼差しを女戦士に向ける。 「あの……」 「おっ、なんだ、熱くなってきたか?」 「いえ、すいません。うざいです」 「えっ?」 「そういう熱血とか私駄目なんで。失礼しますね」 その言葉に、俺は愕然とする。まさか、この熱さが伝わらない生物がいるなんて。 「待て、逃げるなんて許さ」 「しつこいですね。えいっ」 そう言うとともに、女戦士が腕を動かす。次の瞬間、俺の右腕に鋭い痛みが走った。そして、なぜか右腕の肘から先の部分がぽとりと地面に落ちた。 「えっ……?」 何が起きたのか最初はよくわからなかった。でも女戦士が剣を抜いているのが視界に入り、そこでようやく斬られたのだということを理解した。 速い。剣筋がまったく見えなかった。女戦士の腕が動いたと思った瞬間には、もう俺の腕は離れてしまっていた。 「ゾンビだからそのうち再生されますよね。それじゃあ、さようなら。もうここには来ませんから」 「来ないって……お、おい、待ってくれ!」 女戦士の言葉が気になって、俺は再び右腕で彼女の身体を引きとめる。 「あれ……なんでもう腕くっついてるんですか?」 「そんなことはどうでもいい。もう来ないってどういうことだよ」 「別のダンジョンを攻略することにしました。なんかここ、最初からうざいので。うざいのとかほんと私駄目なんで」 「だ、駄目って、何が駄目なんだよ。どうしてお前にはこの熱さが伝わらないんだ」」 「さようなら。永遠に」 「わ、わかった。もうこういうのやめるから。熱くなれとか言わないから。お願いだから待ってくれ」 「はぁ……もうなんなんですか。私もううんざりなんですけど。早く帰ってぐうたらしたいんですけど」 女戦士がいかにも面倒くさいという表情で俺を見つめる。その視線に耐えながら、俺は必死に考えた。 なんとかこいつをやる気にさせる方法はないだろうか。なんとかこいつにこのダンジョンを冒険させる方法は。 少しの間考えて、ひとつだけ思いついた。でもそれは魔物としてあるまじき行為だ。それをやれば、俺の魔物としてのプライドは失われるかもしれない。 しかし、俺はその考えを口に出すことにした。今は、自分の小さなプライドにこだわっている時じゃない。 「じゃあ、こういうのはどうだ? お前がこのダンジョンを攻略する気になってくれたら、俺がお前をサポートしてやる」 「サポート?」 「そうだ。お前のダンジョン攻略のために敵である俺が力を貸してやる。どうだ、魅力的な条件だろう?」 「敵であるあなたがどうして私に力を貸すんですか?」 「そ、それは……」 「それは?」 教えるべきかどうか、少し迷う。それは身内の恥だからだ。しかし、教えないわけにはいかないだろう。 「……このダンジョンにはしばらく冒険者が来ていない。実はここのラスボスが、あと三ヶ月の間に自分のところまで冒険者が来なかったらここを取り壊すって言ってるんだ」 「取り壊す? 勝手にそんなことしていいんですか? 取り壊したりしたら、ここにいる魔物たちはどうするんです?」 「……路頭に迷う」 「じゃあそんなことしちゃ駄目でしょう」 「あぁ、駄目だ。だからこうしてお前に頼んでるんだ」 「私に頼まなくても、ラスボスにそんなことやめてくれってお願いすればいいじゃないですか」 「……そんなこと聞く奴じゃない。だから、もうお前に頼むしかないんだ」 「いや、そんなこと言われても」 「お前だって、どうせどこかのダンジョンを攻略しないといけないんだろ? そうしないと家を追い出されるんだよな? だったらサポート役がつくこのダンジョンを攻略したほうが楽だと思わないか?」 「まぁ、それはそうですね」 「だろう。だったら」 「でもそれはそうだとしても、あなたがどれくらい役に立つかわからないですし。それに私がここを攻略するってことは、あなたの仲間を殺すことになるんですよ。そんなことにあなたが加担していいんですか?」 「役に立つよ。俺はもうここで五年働いてる。ダンジョン内の仕掛けも、四天王のことも、ラスボスのことだって全部知ってる。俺のサポートがあれば、お前の冒険は相当楽になるはずだ。それに仲間が殺されても大丈夫だ」 「どうして大丈夫なんです?」 「人間のお前は知らないかもしれないが、俺たち魔物は死んでも命の元になる核は残るんだ。それを元に新しく体を作り直し、復活することができる」 「ゾンビが復活するのは知ってましたけど、他の魔物もそうなんですか?」 「そうだ。まぁ勝手に生き返るゾンビと違って、他の魔物は新たな体を作る際に多大なエネルギーが必要になるから、そう簡単に復活させることはできないがな。あぁ、それとドラゴンは復活させられない。ドラゴンは死んだら、また新しいドラゴンを卵から生み出すしかない」 「誰が復活させるんですか?」 「それぞれのダンジョンのラスボスだよ。ラスボスしか復活の能力は持てないから」 「えっ? でもラスボスはゲームの中ではただのモンスターで、モンスターを作るのはプレイヤーですよね?」 「ゲ、ゲームってなんのことだよ」 「いや、だってこれってゲームの設定を元にしたしょうせ」 「や、やめろ。し、小説とか言うな。そういうメタ的な発言は」 「……あぁ、なるほど。話の展開上、この小説の中ではそういう設定にするんですね。でもいいんですか? この小説を読むのは原作のゲームが好きな人が多いでしょうし、勝手にいろいろとそんな設定作っちゃって」 「やめろ、頼むからやめてくれ、こっちにだって色々事情があるんだよ。察しろ」 「……」 「と、とにかくそういうことだから、お前がここを攻略するのになんの支障もない。な、やる気になっただろう?」 「うーん……」 「お前の実力に俺のサポートを加えれば、きっとラスボスまでたどりつける。そうすれば、俺や仲間たちは路頭に迷わなくてすむんだ。頼むよ、人助け、いやゾンビ助けだと思って」 「まぁ、やってもいいですけど」 「けど、なんだ? なんでも言ってくれ。できることならなんでもする」 「人にものを頼む時はもっと低姿勢で頼むべきなんじゃないですかねー」 「えっ?」 「人の心を動かすためには誠意っていうものが必要だと思うんですよ。たとえば、土下座するとか」 「に、人間相手に頭を下げろって言うのか?」 「できないならいいです。さようなら」 「ちょっと! あきらめ早いよ!」 「だって嫌そうでしたから」 「い、今のはちょっとした演出だよ。少しくらい葛藤しとかないとさ、ゾンビとしての沽券に関わるっていうか」 「そういうのいいから、早くしてくださいよ。まだ冒険も始まっていないのにすでに七千字も書いちゃってるんですよ。短編書いてくれって言われてるのに、このままじゃ長編になっちゃいますよ。長いと読む人だってだれるし、どうせ私とあなたで四天王倒して、ラスボス倒してめでたしめでたしって展開はもう読めてるんですから、早く話進めちゃいましょうよ」 「お、おい! なんでさらっとネタバレしちゃってんだよ! まずいだろ!」 「読んでる人だってわかってますよ。わかってないなら教えてあげます。これコメディ小説ですから、悲しい展開とかもあんまりないし、もちろん私も死んだりしません。大きな怪我とかもしないです。普通にラスボス倒して、宝持ち帰って終わりです。あぁ、ちなみに四天王のうち一人が仲間になります。それでラスボスを倒した後、このゾンビさんが」 「わー! やめろ、やめてくれ! 「……うるさいなぁ。だったら早く頭下げて私に頼んでくださいよ。ほらほら、早く」 な、なんて奴だよこいつ。こんなに可愛い顔して、デンジャラスにも程がある。 「早くしてください」 女戦士に促され、俺はしぶしぶその場にひざまづいた。仕方ない。これ以上のネタバレすると読んでもらえなくなる恐れがある。もう遅い気もするけど。 「た、頼む……。このダンジョンを攻略してくれ。このとおりだ」 頭を地面にこすりつけるようにして頼み込む。人間相手に土下座など、屈辱以外のなにものでもなかった。 「どうしよっかなー」 それなのに、女戦士はそんなことを言う。そしてあろうことか、下げっぱなしの俺の頭を踏んづけてきた。 「情けない恰好ですね。まさかゾンビに土下座されるなんて思ってもみませんでした。ふふ、面白いです」 頭をグリグリされる。湧き上がる怒りと屈辱に俺は必死に耐えた。 仲間のためだ。仲間を路頭に迷わせないために、俺は耐え続けなければならない。耐えろ、耐えるんだ。 でも、かわいい子に踏まれるのってちょっと気持ちいい……って、いや、何を考えてるんだ俺は。 そうしてやがて、女戦士の足が俺の頭から離れた。 「はーあ、仕方ないですねぇ。まぁ、あなたの言う通りどうせどこかのダンジョンを攻略しなきゃならないんですしね」 「じ、じゃあやってくれるんだな?」 「やりますよ。それじゃないと話も進みませんし。でも足でグリグリとか必要だったんですかね。台本に書いてたからやりましたけど」 「台本……?」 「あれ、台本に書いてませんでしたっけ? ここでちょっとSっ気を出してMっ気のある人に魅力をアピールって。あぁ、小説の場合はプロットって言うんでしたっけ」 「や、やめろ。そもそも台本とかプロットとかないから!」 「えっ、あるじゃないですか。そもそも私たちは決められたプロットにそってただ動くだけでいいっていう話でこの物語に登場して」 「わー! やめろ、頼むからやめてくれ!」 「うるさいんですけど」 「お前がデンジャラスなこと言うからだろ! 頼むから、台本とかプロットとか言うのやめてくれ!」 「わかりましたよ。もう言いません」 「本当だな……?」 「本当ですよ。さぁ、さっさと台本通りにラスボス倒して帰りましょう」 「……」 あぁ、もうなんか序盤からメチャクチャだよ。せっかくこれから冒険が始まるってのに……。 よし……ここは俺が立て直してやる。読者に今後の展開への期待を抱かせてやる。 こうして、俺とルルの冒険が始まった。いったいこの後どんな波乱万丈の展開が待ち受けているのか。はたしてルルは無事に生きて帰れるのか。敵である人間に手を貸したアールの運命は。ダンジョン奥に待つ四天王の強さとは、そして最下層にいるラスボスの正体とは……。 「アールさん。早くしてください。のろのろしてると、今度は両足斬っちゃいますよ」 気付くと、いつのまにか女戦士がエリア2への入口まで進んでしまっていた。 「ち、ちょっと待って、今俺がナレーションを」 「そんなのいいですから早く。あと十秒で来ないと脳みそまで斬り刻みますからね。十、九」 「だ、駄目だ。脳みそだけは駄目だ。他はいいけど脳みそだけは」 「八、七、六、五」 「わ、わかった。行くから」 俺は慌てて後を追う。なんとか脳みそは斬られずにすんだ。 それから少し二人で歩いて、ふと俺は気付いて尋ねてみた。 「そういえば、お前の名前聞いてなかったな。なんていうんだ?」 「ルルです」 「ルルか。俺のことはアールって呼んでくれ」 「アール?」 「あぁ、このダンジョンではそう呼ばれてる。ここにはゾンビがいっぱいいるからアルファベットで区別されてるんだ。まぁ、ゾンビ(R)ってことだな」 「そうなんですか。まぁどうでもいいですけど」 そんなひどい台詞を吐きながら、ルルがエリア2へと入っていく。 「……」 ルルの言葉に俺は泣きそうになり、でもなんとか自分の心を奮い立たせ、傷ついた心を抱えながら、ルルの後を追った。 こうして、ゾンビである俺と、見習い戦士ルルの冒険が始まったのだった。
「ところで、ここのラスボスってなんのモンスターなんですか?」 エリア2を歩いている途中、ルルが問いかけてきた。 「ゾンビだよ」 「ゾンビ?」 「あぁ」 俺はそれだけ答える。ここのボスについての話題は、あまり話したいことではなかった。 なぜなら……。 「ラスボスがゾンビって違和感ありますね。民主党が政権の中枢にいる今の日本くらい違和感あります」 俺の独白を、ルルのデンジャラス発言が止める。 「バ、バカ! 政治ネタはやめろ! いくらなんでもデンジャラスすぎる!」 「ダメなんですか?」 「ダメだよ。政治の他にも宗教ネタや、あと野球ネタも控えたほうがいい」 「野球もですか」 「あぁ、どこかの球団を批判するようなこと言ったら、そこのファンの人たちが怒っちゃうからな」 「わかりました。じゃあナ〇ツ〇のやり方はひどいなとかも言っちゃダメなんですね」 「いや言っちゃってるし! やめて! 大巨人軍を敵にまわさないで!」 「大丈夫ですよ。ナ〇ツ〇はこんなところ見てません。今頃はワイン片手にお金のお風呂にでも入ってますよ。本当に金持ちってむかつきますよね」 ルルが笑顔で辛らつな言葉を口にする。 やっぱりこいつ、ちょっと怖いな……。 「と、とにかくあまり軽々しい発言はするな。冒険者たる者、常に緊張感を持っていないとダメだ」 「わかりました。気をつけます」 微笑みを浮かべ、ルルが言う。愛らしい微笑み。だがその笑みの裏にちらちらと見え隠れしているものを感じるのは俺の気のせいだろうか。気のせいであってほしい……。 二人でエリア2を進んでいく。俺たちが今いる地下一階はエリア4まであった。地下二階はエリア5、地下三階はエリア4までで、地下三階が最下層になる。 「地下一階に四天王はいるんですか?」 「いや、地下一階はゾンビだけだ。四天王は地下二階に三匹、地下三階に一匹いる」 「四天王の陣容は?」 「スライム、ゴーレム、デーモン、ドラゴンだ。地下三階にドラゴンがいて、あとは地下二階だ。もちろん、ラスボスのゾンビも地下三階にいる」 「四天王に比べて、ラスボスがしょぼいですね」 「甘く見るな。ゾンビにだって高い能力を持つ者はいる。中にはドラゴンをしのぐ能力を持つ奴だってな」 「ということは、ここのラスボスゾンビはドラゴンよりも強いんですか?」 「わからん」 「はっ?」 「今まで、冒険者がラスボスまでたどり着いたことはない。だから俺はこのダンジョン内でラスボスが戦っているところをみたことがない」 「じゃあ強くないかもしれないじゃないですか」 「いや、強いことはたしかだ。子供の頃からあいつは大人顔負けの強さを発揮していた」 「子供の頃から知ってるんですか?」 「ゾンビ小学校から高校までずっと一緒だった。その後は俺はここに奉公に来て、あいつは大学に行って、という形で別れたが」 「幼なじみってわけですね」 「まぁ、そうだな」 「ずいぶん差がついちゃいましたね」 「……あいつの家は裕福で、親も優秀なゾンビだったから子供の頃から差はあった。俺はいつも見下されてたよ」 「今も見下されるんですか?」 「あぁ……見下されてるよ。まぁ今はあいつ以外にも見下されてるがな……」 「あいつ以外って?」 「……」 「もしかしてアールさん、このダンジョン内でいじめられてるんですか?」 「……いじめられてるわけじゃない」 「なら、仲間はずれにされてるってところですか?」 「……」 「そうなんですか……」 ルルが今までの言動には似合わない、少し悲しそうな顔をした。その表情が俺には少し意外だった。でも嬉しくはなかった。人間に同情なんかされても嬉しくない。 それきり俺たちの間に会話はなくなり、次のエリアに進んでも、俺もルルも何も言わなかった。 「あっ」 「ん?」 でもやがてルルが声を上げた。その目は前方を向いていて、うつむいて歩いていた俺もルルの視線を追って、それを見た。 まずい。見た瞬間にそう思い、俺は急いでダンジョン内の壁から突き出した岩の陰に隠れた。 そっと顔を出して、前方を確認する。そこには、大勢のゾンビたちがいた。 「おい、皆、人間がいるぞ」 ゾンビの一人が声を出し、固まった十数匹のゾンビが一斉にルルを見る。 「本当だ。ずいぶんとひさしぶりだな」 「なんだ、まだ子供じゃないか。すぐに死んじまいそうだな」 「なんにせよ、ひさしぶりの獲物だ。へへ、美味そうだぜ」 「ここまで来たってことは、アールの奴はやられたってことか。こんな子供にやられるなんて情けない奴だ」 ゾンビたちは下品に笑い合いながらルルを見ている。反面、ルルはというと。 何やらキョロキョロと辺りを見回していた。 「あれ、アールさん?」 どうやら俺を探しているらしい。 「アールさん? どこですか?」 やめろ、と言いたかったが、声を出すわけにもいかなかった。 この状況で、なんであいつ俺を探してるんだ。まさか俺があいつに協力してるってばれたらまずいっていうのがわかってないのだろうか。 「アール? アールが近くにいるのか?」 案の定、ゾンビの一人がルルの言葉に反応する。 「いますよ。さっきまで一緒に歩いてましたから」 ば、馬鹿、なんてことを言うんだ。やめろ。 「一緒にだと? どういうことだ?」 「アールさんは私をサポートして」 「うぉっほん!」 俺はできるだけ声を抑えて咳払いをし、ルルの言葉を止めた。自分でもかなり厳しいごまかし方だと思ったが、他に方法が見つからなかった。 「……今、何か咳ばらいのような声が聞こえなかったか?」 ゾンビたちが怪しんでいる。それを見て、なぜかルルがにこりと笑った。 「アールさんは私をサポート」 「うぉっほん!」 「アールさんはサポート」 「うぉっほん!」 「アールさんは」 「うぉっほん!」 「あーるーおおしば」 「うぉっほん!」 しまった。最後のはする必要なかった。 ルルがくすくすと笑っている。くそ、あいつ楽しんでやがる……。 「おい、そこにいるのは誰だ!」 ばれてしまった。そうしても俺は出て行くことができなかった。姿を見せたら、もう取り返しがつかなくなる。 「アールさん、もう隠れててもしょうがないですよ」 しかしルルにとどめを刺され、俺は仕方なく仲間の前に姿を現す。 「……アール、これはどういうことだ?」 俺は何も言わずうつむいていた。どう弁解するべきか必死に言葉を探していた。 ルルに協力したのは仲間のためだ。皆を路頭に迷わせないため。 でもどんな理由があろうと人間の味方をするなど許されることじゃない。だから、俺は隠れたのだ。 「おい、答えろアール!」 仲間の怒声が響く。どうしたらいい。俺は必死に考え、でも何も浮かびはしなかった。 正直に言うべきだろうか。いや、でも。 「この人はこのダンジョン内のボスが気に入らないんだそうですよ。だから私に味方してボスを倒して、自分がボスになろうって魂胆なんです」 しかし俺がそんな葛藤をしている間に、隣にいるルルがとんでもないことを言った。 「なんだって……?」 途端に仲間たちの表情が変わる。それを見て、俺は血の気が引く思いに襲われた。 「お、おい! しれっとでたらめを言うな! 「あれ、違いましたっけ?」 「違いすぎるだろ! いつ俺がボスになりたいなんて言ったんだ! お前いったいどういうつもりだよ!」 「いきなりいなくなった罰ですよ。私をサポートするって言ったのに」 「道中のサポートはできても、戦闘のサポートなんてできるわけないだろう! 俺はこのダンジョンのモンスターなんだぞ」 「もうできますよ、ほら」 「えっ?」 ルルが指差したのは、仲間のゾンビたち。皆、怒りの形相で俺たちを、いや俺を睨んでいる。 「……そういうことか。なるほどな」 「人間の味方につくとはとんでもねぇこと考えたな、アール」 「ゾンビ史上、いやモンスター史上初めてのことじゃねぇか? まったく信じられねぇぜ」 「クズだクズだとは思っていたが、ここまでとはな。このゾンビの面汚しが」 冷ややかを通り越して、すでに雰囲気は殺伐としていた。 「あーあ、もう完全に敵視されてますね」 のんきにルルが言う。たしかに俺を見る仲間の視線には明らかな敵意があった。 「み、皆、違うんだ」 「何が違う? 現にお前は人間のそばにいるじゃないか」 「い、いや、これは……」 「まぁお前の気持ちはわからんでもないよ。今のボスは横暴だし、反抗したくなる気もわかる。それより何より、お前は一人ぼっちだったからな」 一人ぼっち。仲間から言われたその言葉が、どうしてかやけに胸に響いた。 「俺たちにいじめられて、一人ぼっちになって、ついに人間のお友達を求めたか。はは、まったく哀れにもほどがあるな」 仲間たちの間に笑いが広がる。惨めな思い。だけどそうつらいものでもなかった。 こういう思いは、この五年間で何度も味わってきたから。 「あなたたち、アールさんをいじめてたんですか?」 「何?」 「さっき、アールさんは仲間外れにはされていたけど、いじめられてはいなかったと言っていました」 「お、おい……ルル」 「どうなんですか?」 「ルル、やめろよ……やめてくれ……」 「どうなんですか?」 ルルに問いかけられた集団の先頭にいるゾンビが、ちらりと俺のほうを見る。そして、笑った。 「すまん、アール。いじめなんかじゃなかったな。俺たちはお前をいじめてなんかいなかった。そうだよな?」 「えっ……あ、あぁ……」 「思い出すぜ、お前と一緒に遊んだ日々のことを。あれはいつだったか、入口で見張りをしてるお前を的にして、皆で石を投げて遊んだよな」 その言葉に、また仲間たちが笑い声を上げる。 「お前の誕生日には毎年、齢の数だけ俺たちが殴って祝福してやったりもしたな。お前は喜んでくれてた」 また、笑い声。笑われるたびに惨めな思いが強くなる。 でも耐えられた。今までだって耐えてきたのだ。今さら、笑われたところでなんだというのだ。 「中でも一番楽しかったのは」 「もういいです」 ルルの声が仲間の言葉を止める。その声は、それまでとは違ったひどく低い声だった。 俺はうつむかせていた顔を上げ、ルルに視線を向ける。そして、はっとした。 ルルは剣を抜いていた。その音もなく鞘を抜け出た剣は、ダンジョン内に灯された篝火の光を受けて鈍く輝いていた。 「おい、なんだお前、この人数と戦うつもりなのか?」 「戦うんじゃありません」 また、ルルが低い声で言う。 「殺すんです」 ルルの視線はまっすぐにゾンビたちを見ている。俺から見える部分は横顔だけなので、全体の表情はよく見えない。 でも少なくとも、笑ってはいなかった。 「ガキが、面白いこと言いやがるじゃねぇか。おい皆、やっちまおうぜ!」 その言葉を合図に、ゾンビたちが一斉に動き出す。何本もの手が、牙が、ルルに襲いかかる。 やられる。 そう思った瞬間、血が噴き出していた。紫の血。ゾンビ特有の、腐った色の血。 二体のゾンビが真っ二つになっていた。そしてさらにルルの剣が、そしてルルの体が動く。 速かった。やっと目に追えるくらいの速さでルルは動いて、ゾンビたちの腐った体を斬っている。 やたらに剣を振り回すのではなく、敵との間合いを詰め、斬り上げ、斬り下ろす。それを繰り返しルルはやっていた。とても静かな動きだった。そして子供とは思えない動きだ。まるで、熟練の戦士が戦っているように見える。 気付くと、ゾンビたちは一人も立っていなかった。皆斬られ、倒れている。体が二つになっている者、腕や足がない者、首がとんでいる者。様々だった。 「な、なんなんだよ、お前……」 一人だけ息があったゾンビが、消え入りそうな声でそう言った。そのゾンビの顔に無言でルルが剣を突き刺す。それで、生きている者は誰もいなくなった。 ルルが血のついたままの剣を鞘に納める。そうする時も、ルルは何も言わなかった。 その姿を見ながら、俺は大きな驚きと恐怖を感じていた。さっき腕を斬られた時に剣筋の速さは見たが、まさかここまで強いとは思わなかった。 それに、いくら魔物といえどここまで凄惨に体を切り刻めるものだろうか。ルルはまだ十五歳の子供なのだ。そんな子供が、ここまでやれるものなのか。 「ル、ルル、お前……」 自分で出した声が少し震えていた。 その震えた声に反応し、ルルがこっちを向く。その表情は、笑っていた。 「あー、すっとした」 「えっ……?」 「私、集団がよってたかって一人をいじめるとか、むしずが走るんですよ。だから斬れてすっとしました」 口調も元に戻っている。 「あっ、勘違いしないでくださいね。別にアールさんのためにやったとかそういうんじゃないですから。でもよかったですね。これでアールさんがラスボスになれば、こいつらとは永遠におさらばできますよ」 「俺がラスボス……?」 「この際、そういうことにしちゃいましょうよ。いちいち隠れられるのとか面倒ですし。ラスボスには子供の頃から見下されてきたんですよね? ちょうどいいじゃないですか。自分がラスボスになって見返してやりましょうよ。そして冒険者がたくさん来るように、アールさんがダンジョンを作り直すんです。下剋上ってやつですね」 「いや、でもそれは……」 「何を迷ってるんですか。アールさんがラスボスにならなかったら、今のラスボスがこいつらをまた復活させちゃいますよ。それでもいいんですか?」 「……いいよ」 「どういうことですか?」 「こいつらは俺の友達だから……」 「はっ?」 本心だった。おかしいと思われるかもしれない。笑われるかもしれない。でも、俺はそう思いたい。 「いじめられてた相手が友達って、本気で言ってるんですか?」 「あぁ……」 「アールさんって馬鹿なんですか?」 「……」 「同じダンジョンで戦う同僚を好んでいじめる人たちが、友達なわけないじゃないですか。どうしてそんな人たちを友達だなんて思えるんです? おかしいですよ」 「でも……」 「なんですか?」 「それでも、俺にとっては友達だったから……向こうがそう思ってなくても、俺にとっては……」 「あぁ、わかりました。アールさんって馬鹿なんですね」 「なんとでも言え……」 はぁ、と呆れたようにルルがため息をつく。俺は何も言葉を返さなかった。 「そもそもなんでいじめられるようになったんですか?」 「……」 「アールさん、答えてください」 「……目つきだよ」 「目つき?」 「俺、目つき悪いだろ……? 初対面の相手には、それでまず最初に怖がられてうまく話ができないんだ。それからなんとか立て直せればいいんだけど……そもそも俺、あんまり他人とのコミュニケーションとかうまくないから、なんか知らないうちにもっと誤解されて……知らないうちに、嫌われて……」 「知らないうちに、いじめられていたんですか?」 「……そうだ」 「学校でもいじめられてたんですか?」 「いや、その時はいじめられてはいなかった。ちゃんと友達もいた。まぁ、少なかったけど……」 「その友達とは、今は?」 「……卒業してから一度も連絡もらってない。俺からは連絡したんだけど、なんでか返ってこなくて……」 「本当の友達じゃなかったんですね」 「……」 それは自分でもわかっていることだった。でも心のどこかで認めたくなくて、いまだに自分の中では友達だと思ってしまっている。もしかしたら俺は、自分で自分を惨めにしてしまっているのかもしれない。 「アールさん、本当にこいつらが復活してもいいんですか?」 「あぁ……」 「またいじめられますよ」 「……いつかこいつらもわかってくれるかもしれない」 そんなことあるわけない。わかっている。だけどすがってしまう。俺は弱いゾンビだと、そう思った。 ルルがまたため息をつく。どうしようもないですね、という言葉が続いた。そしてその後も言葉は続き。 「アールさん、私、こいつら嫌いです」 なぜかルルは、改めてそう言った。 「えっ?」 「私、こいつら復活してほしくないです。復活したらまた斬ります。なます斬りにします」 「お前、何を……」 「というわけで選んでください」 「選ぶ?」 「私かこいつら、どっちか選んでください」 「どういうことだ……?」 「どっちを友達にしたいかってことですよ」 「へっ?」 驚きのあまり、おかしな声が出てしまう。 「それってつまり……俺と友達になってくれるってことか?」 「何言ってるんですか。もうすでに友達じゃないですか、私たち」 「えっ……」 「でもアールさんがこいつらを選ぶんだったら、私、アールさんの友達やめます。そしてこの場で斬ります。それで帰ります」 「アール、お前……」 「さぁ、早く選んでください」 そう言われて、動揺した。どうしたらいいかわからなくなった。 相手は人間だ。ゾンビが人間と友達になるなんてあっていいのだろうか。いいわけない。許されるはずない。だけど。 だけど……。 「お前は本当に俺と友達になって……いや、俺と友達でいてくれるのか……?」 「約束します」 「俺は、ゾンビなんだぞ……?」 「関係ないですよ、そんなの」 「でも、俺とお前は人間で……」 「人間とゾンビが友達になっちゃいけないって誰が決めたんです? アールさんがそんなことにこだわる意味が私にはわかりません」 「本当に、俺でいいのか……? 俺なんかが友達でいいのか……?」 「しつこいですね。あぁ、でもその代わりアールさんも最後まで私をサポートしてくださいね。途中で逃げ出したりしたら許しませんから。その時は地獄の底まで追いかけてぶち殺します」 言葉は乱暴だが、ルルのその口調は優しくて、温かかった。 俺がそう思ってるだけかもしれない。ルルはいつもどおりしゃべっているだけなのかもしれない。でも、それでもよかった。 「さぁ、早く選んでくださいよ」 ルルが俺を促す。俺は仲間たちの、いや、俺をいじめたゾンビたちの死体を眺めた。そうしてももう迷うことはなかった。 迷いの代わりに湧いた思いがあった。 俺は、ルルと友達になりたい。 「……わかったよ、ルル」 ルルの顔を見つめながら言う。なんだか涙が出てきそうになった。 「最後までお前をサポートしてやる。四天王を倒して、ラスボスを倒して、お前がこのダンジョンの宝を持ち持ち帰るまで、そして俺がラスボスになるまで、俺がお前のそばについててやる」 ルルがにこりと笑う。俺もその笑顔に笑い返した。そうすると、笑っているはずなのに涙が出てきた。 「あれ、泣いてるんですか?」 「ば、馬鹿野郎、泣いてなんかねぇよ」 「でも目がうるんでますよ」 「これは汗だ。このダンジョン、いつも少し熱いんだよ」 「そうですか。まぁそういうことにしておきましょう。それじゃあこれからもよろしくお願いしますね、アールさん」 「お、おう!」 「ちゃんとサポートしてくださいね」 「任せろ!」 「危なくなったら守ってくださいね」 「おう!」 「私のために体張ってくださいね」 「おう!」 「私への敵の攻撃全部受け止めてください。私のためにあらゆることをしてください。それが本当の仲間ってものですから。私たちは、本当の仲間ですよね?」 「おう!」 ん? なんか今の台詞、おかしくなかったか? 「約束しましたよ」 「お、おう、任せとけ」 まぁ細かいことは気にしなくていいか。俺は本当の仲間を、友達を手に入れたんだから。 よし、これからはルルのため、頑張るぞ! こうして晴れて友達となった俺たちは、無事に地下一階を制覇し、地下二階へと進んだのだった。
「地下二階には何がいるんですか?」 「さっき言っただろう。四天王のスライムとゴーレムとデーモンだよ」 「他の雑魚敵は?」 「いないよ」 「一匹もですか?」 「雑魚は地下一階のゾンビだけだ。以前は地下二階や三階にもいたんだが、冒険者が来ないから減らされたんだ。だから地下三階にも、四天王のドラゴンとラスボスしかいない」 「じゃあすぐに攻略できそうですね」 「甘く見るな。ラスボスはもちろん、四天王だってかなりの強さを持っている。油断してるとあっという間にやられるぞ」 「最初のスライムはどのくらい強いんですか?」 「四天王の中では最弱だが、さっきのゾンビたちとは比べ物にならなほどい強い。今までにも未熟な冒険者たちを何人も死体にしてきた最初の門番だ」 「性格は?」 「性格? なんでそんなこと聞く?」 「どんな性格か知っておいたほうが、戦うのに有利だと思いますから」 「そういうものか? まぁいいか。そうだな……スライムさんは、なんというか妖艶だな」 「妖艶? スライムなのに?」 「言葉遣いとかが色っぽいんだよ。人間にしてたとえると、綺麗なお姉さんって感じかな」 「スライムなのに綺麗なお姉さんって……」 「考え方も大人で落ち着いてるし、挑発したりしても乗ってこないと思う。まっとうに戦うしかないな」 「年齢は?」 「たしか、三十四だったかな」 「ふぅん……」 ルルが何か考える表情をし始める。 「ちなみに俺は二十三歳だ」 「聞いてません」 「そうかい……おっ、いたぞ、スライムさんだ」 前方に一匹のスライムが見えている。地下二階への階段を守るようにたちふさがっていた。 「あら、人間じゃない。ひさしぶりすぎて驚いたわ」 「どうも。初めまして」 「礼儀正しい子ね。感心だわ。あら、隣にいるのはゾンビの……アール君だったかしら?」 「おひさしぶりです、スライムさん」 「どうしてあなたが人間と一緒にいるの? 倒されて奴隷にでもされたの?」 「い、いえ、実はその……下剋上ってやつをしてみようかと……」 「下剋上?」 「ラスボスを倒して、俺がラスボスになってこのダンジョンを立て直そうかと思いまして……」 「あぁ、そういうこと。大層なこと考えるじゃない。それで人間を味方につけたってわけね」 「はい……」 「面白いじゃない。でもかつての味方だろうと、私は容赦しないわよ。覚悟はできてるの?」 「それは、まぁ……」 「そう。それならいいわ。ふふ、ゾンビと人間のタッグなんて初めてだわ。楽しめそうね」 スライムさんがゼリー状の体をぷるぷると震わせる。武者震いだろうか。 「あの」 そこでルルが口を挟んだ。 「何? 可愛い女戦士さん」 「このダンジョンに、スライムはあなたしかいないんですか?」 「ええ、いないわよ。それがどうかしたの?」 「いえ、ちょっと。それともう一つ、あなた結婚はしてますか?」 「えっ……?」 「どうなんですか?」 「し、してないわよ……それがなんだっていうの?」 「じゃあ、彼氏はいますか?」 「……」 スライムさんが口ごもる。俺も彼女のプライベートなことはあまりよく知らない。でも、周囲に男の影がないことは察していた。 それも仕方ない。ダンジョンで働いていると、出会いなんてダンジョン内でしか起こらない。ここ数年、このダンジョンのスライムは彼女一匹だけだ。恋人など作れるわけがない。 「おいルル、お前何を」 俺はスライムさんの心情を察して、ルルを諌めた。 「いないみたいですね。だとすると、さすがにそろそろやばいですよね。三十四歳とお聞きしましたけど」 しかし、ルルは何も察していないようだった。 「ば、馬鹿、お前少しは相手の気持ちを考えて」 「アールさんは少し黙っていてください」 ぴしゃりと言われる。なんだか真剣な顔をしていて、俺は思わず黙り込んでしまった。 「三十四だからなんだっていうのよ……三十四なんてまだ若いうちじゃない……」 「そうでしょうか? 三十四っていったらもうかなりやばいんじゃ」 「何がやばいのよ! 全然やばくないわよ! 三十四っていったらまだアラサーよ。おばさん扱いしないで!」 「もうすぐアラフォーですけど」 「う、うるさい! なんなのよあんた、小娘のくせにいけしゃあしゃあと」 「いけしゃあしゃあって古い言葉ですね」 「お黙り!」 スライムさんの声がダンジョン内に響く。かなり興奮しているようだった。 「おいルル……お前相手を怒らせてどうすんだよ……」 「アールさん、ちょっと耳を貸してください」 「えっ、なんで?」 「いいから早く」 そう言ってルルは強引に俺の耳を引っ張る。そして何事か俺に耳打ちしてきた。 「えっ、な、なんだよそれ」 「お願いします。やってみてください」 「や、やだよ。なんで俺がそんなこと」 「これをやればきっと簡単に勝てます。今後に備えて無駄な戦いは避けるべきです」 「で、でも……」 「いいからいってください。えいっ!」 「わっ」 ルルに背中を蹴飛ばされ、その勢いで俺はスライムさんのすぐそばまで近づいた。 「……何、アール君? もしかしてあなたまで私を馬鹿にするつもりなの?」 「ち、違います」 「じゃあ何? まずはあなたから戦おうっていうことかしら?」 スライムさんが戦闘の気配を見せて、俺は慌てる。 「ま、待ってください。戦う前に、あなたに話があるんです」 「何? 手加減してくださいなんてことは聞けないわよ。私、今あの小娘のせいですごく苛々してるから」 「いえ、そういう話じゃなくて」 「じゃあ何よ。早く言いなさいよ」 俺は思いきって、先程ルルに耳打ちされた言葉を口にする。 「……俺、スライムさんのことが好きなんです」 「えっ?」 スライムさんの動きが止まる。それとともに、俺の中に多大な恥ずかしさが湧いてきた。 「な、何よ、いきなり……」 「す、すいません。戦う前にどうしても言っておきたくて。あの、それでですね、えっと、もしよかったら俺と付き合ってくれませんか?」 あぁ、恥ずかしいなぁ……でもちゃんとやらないとルルに怒られるだろうしなぁ……。 「な、何を言ってるのかわからないわ。どういう意味?」 「いや、言葉どおりの意味ですけど……」 「ほ、本気なの……?」 「本気です……」 スライムさんが口ごもる。なんだか彼女の体全体がほんのり赤くなっているように見えた。 「どうして私なの……?」 「えっ」 「あなた、まだ二十三歳でしょう……? どうして私みたいなおばさんを選ぶの……? それに私はスライムで、あなたはゾンビなのよ……種族の違うもの同士が恋愛なんて……」 「そ、そんなの関係ありません」 俺は少し声を荒げる。相手が引いた場合はこちらから押してください。さっきルルに言われたことだった。 「俺はあなたが好きなんです。年齢差も種族差も関係ない」 「ア、アール君……」 「だから俺の恋人になってください、必ずあなたを幸せにします。これからずっと、俺があなたを守ります」 湧いてくる恥ずかしさと、俺はいったい何をやってるんだろうという思いを抑えながら、俺はスライムさんに言葉をぶつける。そうすると、スライムさんの体がさらに赤くなった。 「だから、俺と恋人になってください……」 俺の告白に、スライムさんは何も言わなかった。でも、やがて。 「はい……」 はっきりと、そう答えた。 「あ、ありがとうございます。それじゃあ目を閉じてください」 「えっ……?」 「こ、恋人としての誓いのキスをするので……」 「えっ、ま、待って、こんなところで?」 「さぁ、閉じてください」 「は、はい……」 スライムさんが目を閉じる。それを確認した俺は、そっとルルに視線を向けた。 ルルは小さくガッツポーズしていた。顔は笑っていて、にんまりと嬉しそうだ。 その表情のままルルがスライムさんに近づいていく。そして静かに剣を抜き、それをスライムさんの体に向けた。 「えいっ」 「きゃあぁっ!」 スライムさんの悲鳴が上がり、その体が二つに切れる。無防備なところへの一撃だったので、見事にばっさりだった。 「四天王一匹目、撃破です!」 ルルが剣を天にかざすようにして、嬉しそうに言う。 その姿を見ながら、俺はひどい罪悪感を感じていた。いくら作戦といえど、後味悪すぎる……。 「だ、だましたのね……」 「ご、ごめんなさい、スライムさん……。後でちゃんと復活させますから……」 「ひどい……女の心をもてあそぶなんて……」 そう言ったきり、スライムさんの体は動かくなった。 「あぁ、俺はなんてことを……」 スライムさんの死体を見つめながら肩を落とす。そんな落ちた俺の肩を、ルルがぽんと叩いた。 「さぁ、アールさん。次行ってみよー」 そして弾んだ声でそんなことを言う。 その声を聞きながら、俺はなんともいえない気持ちになり、はぁ、と大きくため息をついた。
スライムさんを倒したエリアを過ぎても俺の心は晴れなかった。 「あぁ……スライムさんに申し訳ないことしたなあぁ……」 「まだそんなこと言ってるんですか。ラスボスになって復活させれば済むことじゃないですか」 「そうだけど、あのだまし方はいくらなんでも……復活させたら謝らなきゃな……」 「あぁ、もう。いつまでうじうじしてるんですか。さっさと立ち直ってください。じゃないと斬りますよ。内臓ぶちまけますよ」 ルルが剣を抜いて、俺の腹の辺りに向ける。 「わ、わかったよ。もう言わないから、剣をしまってくれ」 こいつの場合、本当にやりかねないから困る。 「ところでアールさんは彼女とかいるんですか?」 剣をしまいながら、ルルが聞いてくる。 「えっ、な、なんだよ急に」 「いえ、さっきのスライムさんへの誘い方とか手慣れてたので、経験あったのかなって」 「いねぇよ、彼女なんて……」 「今まで一人もですか?」 「あぁ、そうだよ……」 「意外ですね」 「えっ?」 「だってアールさん、結構綺麗な顔してますし」 「お、俺が綺麗?」 そんなこと言われたのは初めてだった。 「目つき悪くなければ美形っていってもいいと思いますよ。いや、今のままでも十分いけるかと」 「ほ、本当か? 本当に俺って美形なのか?」 「人間から見ればそうだと思います。もしかしたら人間とゾンビじゃ見え方が違うのかもしれませんけど」 「今まで生きてきて、初めて美形なんて言われたよ」 「そうなんですか。じゃあやっぱり人間とでは感性が違うのかもしれませんね」 そうなのだろうか。人間とほとんど接したことなんてないからわからなかった。 いや、待て。ルルはどうしていきなりこんな話をしたのだろう。 まさか、ルルは俺のことを……。 いや、ありえない。この娘に限ってそんな。だが、もしそうだったら……よし。 さりげなくルルの気持ちを確認してみようと、俺はそっとルルの手を握ってみた。 「いてぇ!」 すると、次の瞬間には俺の右手はなくなっていた。 「何いきなり手握ってるんですか? セクハラですか?」 「い、いや、なんていうか……なんとなく」 「なんとなくでいきなり女子の手握るんですか? どんだけ飢えてるんですか。中学生男子ですか」 「ち、違うよ。なんていうか、そ、そうだ。安心させようと思って」 「安心?」 「ルルはダンジョン初心者だから、俺が少しでも怖さを和らげてあげようと思って」 「そんなのいりません。だいたい怖くありませんし」 「ですよね……」 「今度やったら全身斬りますから。ミンチにしますから」 「り、了解……」 うーん、女心は難しい……。 そうこうしてるうちに、地下二階のエリア3にやってきた。 入った瞬間に、岩の塊のようなものが見えた。大きい。ルルと比べれば三倍くらいでかいだろう。 「あれがゴーレムですか。強そうですね」 「あぁ、強いよ。ラスボスを含めて、力だけならここで一番強い」 「何か弱点はないんですか?」 「ないな。ゴーレムさんは真面目で仕事熱心だ。スライムさんの時のような小細工も通用しないと思うから、普通に戦って勝つしかない」 「面倒ですね」 「いや……冒険者はみんな普通に戦ってダンジョン攻略するものだろ」 「あのゴーレム、私よりも強かったりするんですか?」 「いや、たぶんルルのほうが強い。油断しなければ、長期戦にはなると思うが勝てるはずだ」 「長期戦ですか。面倒だなぁ……」 ぶつぶつ言いながらも、ルルがゴーレムさんに近づいていく。俺もその後を追った。 「ほぉ、上が騒がしいと思っていたら人間の仕業だったか。ん、お前はゾンビのアールではないか。なぜ人間と一緒にいる?」 俺はスライムさんの時と同様に、詳しい事情を話す。 「なるほど。お前にそんな気骨があったとは驚きだ」 「はぁ、すいません……」 「謝る必要はない。それがお前の選んだ道なのだろう? ならば迷わず進めばよい。たとえかつての仲間の屍を踏み越えることになろうともな」 「ゴーレムさん……」 相変わらず男気があって格好いいなぁ……。 「しかし、自分とてそう簡単に屍となるわけにはいかん。お前と、お前が選んだ人間の力、見せてもらおうか」 ゴーレムさんが戦闘態勢に入る。 「ルル、くるぞ」 「はぁ、仕方ないですねぇ……」 ゴーレムさんの大きな拳がルルめがけて飛んでくる。 「ルル、危ない! うぉっ!」 俺はルルの前に立ち塞がり、なんとか拳を止めようとしたが風圧だけでふっとばされてしまう。 そして拳はそのままルルに襲いかかり、だがルルは素早く剣を抜き、拳を刃で受け止めるようにして防いでいた。しかし衝撃のあまりルルの小さな体は飛ばされ、尻餅をついてしまう。 「いたた……」 「ル、ルル! 危ない、早く立つんだ!」 ゴーレムさんが倒れたルルに近づいていく。やばい。そう思ったが、なぜかゴーレムさんはそれ以上攻撃しようとしなかった。 「あれ……?」 どうしてかゴーレムさんがルルから顔を背けている。その顔が少し赤らんでいた。 いったいどうして、と思いルルを見ると、俺はそれに気づいた。 ルルが身に着けているスカート状の装備が倒れた拍子にめくれてしまっていて、白い太ももがあらわになっていた。 なるほど。このせいか。 子供の足といえど、硬派なゴーレムさんにはちょっと刺激が強いのかもしれない。せっかくシリアスな戦闘モードだったのになんだかなぁという感じだけど、まぁなんにせよ連続で攻撃されなくてラッキーだ。 しかし、おかしかった。ルルがいつまでも立とうとしないのだ。 「お、おいルル、何してるんだ。早く立たないと」 「いえ、もう駄目です……」 「えっ?」 「無理です……こんな強い力の人に勝てるわけありません……」 「な、何言ってんだよ、お前! この程度であきらめてどうするんだ!」 「そんなこと言ったって……」 ルルの様子が明らかにおかしかった。いったいどうしたんだろう。 「あきらめるのか……?」 ゴーレムさんが横を向きながらルルに問いかける。 「はい……あなたにはかないません……」 「だ、だったら早々に立ち去るがよい」 「殺さないんですか……?」 「戦意のなくしたものをいたぶる趣味はない」 「……優しいんですね」 ルルはまだ転んだままでいる。たぶんゴーレムさんからはスカートの中が見えているだろう。まぁゴーレムさんは横を向いて見ないようにしているが……ん? いや、よく見ると違った。ゴーレムさんは見ないふりをして、実際はちらちらと視線を動かしてルルのほうを見ていた。 「……」 なんか、ショックだった……。 「や、優しくなどない。我が人間相手に優しくするなど」 「いえ、優しいです。それに、素敵です……」 「な、何を言っている。もういい。早く立ち去れ」 「……いやです」 「なんだと?」 「私、もっとあなたとお話ししていたいです……」 「なっ……」 ん……? なんだこの展開……? 「駄目ですか?」 「だ、駄目だ。人間と話すことなどない」 「嫌です……お願いします……もう少しあなたのそばにいさせてください……」 ルルがゴーレムさんを上目づかいで見上げる。 「お願いです……」 「うぅ……わ、わかった、少しくらいなら構わん」 「本当ですか? 嬉しいです」 「それで、なんの話をしたいのだ?」 「どうしたらあなたみたいに強くなれるでしょうか?」 「む、むぅ……そうだな、強くなるためにはやはり体を鍛えることが必要だ」 「ゴーレムさんはどうやって鍛えてるんですか?」 「腕立て伏せを毎日千回やっている」 腕立て伏せと聞いた瞬間、ルルが一緒だけにやりと笑ったような気がした。 俺の中に、ある予感が浮かぶ。もしかしてあいつ……。 「腕立て伏せ? どうやってやるんですか?」 「腕立て伏せを知らんのか」 「ごめんなさい。私もやってみたいので、見本を見せてもらえますか?」 「あぁ、構わんぞ。ほら、こうやってやるのだ」 「すごい、こんなことを本当に千回もできるんですか?」 「あぁ、そのくらいわけない」 「すごい。是非見せてください」 「し、仕方ない。よく見ておれ」 ゴーレムさんが腕立て伏せを繰り返す。それを眺めながら、またルルがにやりと笑った。 あぁ、こいつ、やっぱり……。 そうして俺の思ったとおり、ルルは静かに剣を抜き。 「えいっ」 それをゴーレムさんの体に突き刺した。 「えっ? うぉっ! な、何をする!」 「えいっ、えいっ」 ザクッ、ザクッとルルがゴーレムさんの背中に剣を突き刺す。それが何回も繰り返された。 「なかなか頑丈ですね」 「や、やめろ、卑怯だぞ」 「えいっ、やぁっ」 「ほ、本当にやめろ。このままじゃ死ぬ」 「はい、死んでください」 「そ、そんなぁ……」 その言葉を最後に、ゴーレムさんががくりと首をうなだらせ、そしてそのまま動かなくなった。 「ゴーレム、討ち取ったりぃ!」 ルルが剣をかざして叫ぶ。 「さぁ、アールさん。次行きますよ」 俺は何も言えなかった。なんというか、言葉が見つからない。 も、もしかしてまともな戦闘はゾンビを倒した時だけ、っていうことになったりしないよね……?
地下二階のエリア5。そこには三匹目の四天王であるデーモンがいる。 「今度の相手はどんな感じですか?」 エリア4を歩いている途中、すでにおなじみになりつつある質問をルルが口にする。 「デーモンさんは……まぁなんていうか、戦えば強い。ゴーレムさんよりも強い。戦えばな」 「なんですその言い方? まるで戦うのが嫌いみたいな言い方ですね」 「……そのとおりだ」 「えっ、本当に嫌いなんですか?」 「あぁ……」 「魔物なのに?」 「うん……」 「いったいどうしてです?」 「……デーモンさんは、いわゆる厭世主義者でな。いつもやる気がない。悪魔らしいことは何もせず、いつもぼんやりとしていて、ことあるごとに働きたくない、と言っている」 「ほう」 「だから戦うことにも前向きじゃなくてな。今までに数回冒険者と戦ったことがあるが、いつも何回か攻撃されてから、やっと反撃する。まぁ強いからそれでもだいたい勝つんだけど」 「じゃあ先制攻撃で大ダメージを与える必要がありますね」 「そうなんだが、難しいと思う。上級の悪魔であるデーモンさんを一回や二回の攻撃で瀕死にするのはいくらルルでも無理だよ。勝つためには、今度こそ全力で戦って打ち倒すしかない」 「それなら説得するのはどうですか? 相手が戦いたくないと思ってるなら、戦わなければいいじゃないですか」 「いくらデーモンさんでも、戦わずに冒険者を通したりはしないよ。そんなことしたらダンジョンを追い出される」 「うーん、そうですかねぇ」 「とにかく強い相手だ。気を引き締めてくれよ」 「はーい」 のんきな返事だ。たぶんまたろくに戦わずに勝とうと考えているのだろう。 俺は嫌な予感を感じていた。なんだか、デーモンさんとルルってちょっと似て……。 「あっ、いた」 思索の途中でルルが声を上げる。その視線の先には一匹のデーモンがいた。 「たしかにこれまた強そうですね」 デーモンさんは地下三階への階段の前に座り込んでいた。なんだか眠っているようにも見える。 しかし俺たちが近づくと顔を上げ、じとりとした視線を送ってきた。 「なんだ、お前たちは……?」 「デ、デーモンさん、おひさしぶりです。ゾンビのアールです」 「ゾンビ……? ゾンビがなぜ人間と一緒におるのだ……?」 「あぁ、それはですね」 「いや、よい。どうせ聞いても詮無きこと……」 俺は説明しようとしたが、聞いた本人に止められた。なんというか、いつもどおりのデーモンさんだった。 「あの、デーモンさん」 「……なんだ、人間?」 「お聞きしたいことがあるのですが、いいでしょうか?」 「なんだ?」 「ここで四天王やってて、報酬とかあるんですか?」 「いや、ない」 「ここで倒した人間を食べたりは?」 「我はせんよ。悪魔は何も食わずとも生きていけるからな」 「この仕事に生きがいを感じていますか?」 「いや、感じておらぬ」 「ふざけないでください!」 いきなり、ルルの怒声が響き渡った。それに驚いて、俺の体はびくりと震えた。 「なっ、急になんだというのだ?」 デーモンさんも驚いた顔をしている。 「私だって働きたくないんですよ!」 「えっ……?」 「だから働きたくないんですよ。それなのにダンジョン探索に行けとか言われるんです。家にいたいのに、ぐうたらしてたいのに、どうしてかわかりますか?」 「い、いや、わからぬが……」 「家を追い出されるからですよ! そうなったら私、無一文ですよ! 飢え死にするんですよ!」 「ま、まぁ、人間だからそうだろうな……」 「だから私はこうしてやりたくもないダンジョン探索してるんです! 働いてるんです! 家で寝てたい欲望を我慢して、面倒な戦闘をこなしてるんです! それなのに……それなのにあなたはなんなんですか!」 「わ、我がどうかしたか……?」 「働かなくてもいいのに働いてるってなんですかそれ! 馬鹿なんですか! 死ぬんですか! ていうか死ね!」 ルルは我を失っていた。興奮のあまり、おかしくなってしまっているようだ。 「いや、我にも事情があって……」 「どんな事情ですか?」 「は、働いてないと、周りの目とかあるだろう……?」 「はぁ? 何が周りの目ですか。そんなの気にしてどうするんです? 働かなくていい幸せと天秤にかけたらあっという間にそんなもの転げ落ちますよ。月とすっぽんですよ。フリーザとバクテリアンですよ」 「……働かないということは、幸せなことなのか?」 「当たり前じゃないですか。この世のどんな幸せにも勝る幸せですよ。人類永久不変の願いですよ」 「そ、それほどのものか?」 「それほどのものですよ。決めました。私、生まれ変わったらデーモンになります。絶対なります。働かなくていいとかデーモン最高ですよ。ほんともうなんなんですかそれ。羨ましすぎます」 「そんなに羨ましいか……?」 「羨ましすぎてもうあなたを殺しちゃいそうですよ。私もなれるものなら今すぐ人間やめてデーモンになりたいです。今この瞬間に生まれ変わりたいです」 「そ、そうか……。それでは、我はそれほどの大きな幸せを自ら捨てていたというのか……」 「えぇ、そうです。あなたは世間の目というくだらなすぎるものにこだわって、幸福を、この世ならざる天国を捨てていたんです。まったくなんて愚かなんですか。信じられません」 「そ、そうだったのか……」 デーモンさんがうつむいて、何やら考え込む。なんだかひどく嫌な予感がしてきた。 「……ありがとう、冒険者よ。おかげで目が覚めた」 そして案の定、デーモンさんはそう言った。 なんだろう、このあっさり感……。 「我は決めた。もう働くことなんてしない。我はこのダンジョンを出よう。そして自由に生きる」 「そうですか。正しい選択です」 「うむ。なんだかとても晴れ晴れしい気分だ」 デーモンさんがその言葉りに清々しく微笑んでいる。こんな顔初めて見た。 「じゃあ、この道通らせてもらいますね」 「あぁ、構わん。なんせ我は、もう仕事をしないのだからな」 はっはっはっ、とデーモンさんが笑う。なんだよ、この変わりよう……。 「アールさん、何してるんですか、早く行きますよ」 ルルが手招きしている。なんだかもう元に戻っているようだった。もしかしてさっき怒っていたのは演技だったのだろうか。それにしては、やけに感情がこもっていた演技だったけど。 そうして、俺たちは第三の四天王が守る道をも通過した。 あぁ、今回はまともな戦闘どころか、剣を抜いてさえいないよ……。
俺たちはいよいよ最下層である地下三階へと降りた。 「次はドラゴンですね」 「そうだな」 「やっぱり強いんですよね?」 「強い。ラスボスを除けばダンジョン内で一番強い。いや、もしかしたらラスボスよりも強いかもしれない」 「性格はどんな感じですか?」 「律儀って感じだな。たぶん四天王の中で一番まともだ」 というより、今までがまともじゃなさすぎた。 「今度こそ小細工は通じないぞ。覚悟しておいた方がいい」 「まぁ、仕方ないですね。今までずるした分、頑張りますか」 ルルがそう言い終わると同時に、ドラゴンの姿が見えてきた。 大きな羽を持ち、手と足には鋭い爪、そして口には牙が生えている。しかしそれ以外の部分は人間そのもので、小柄な体に幼い顔つきが愛らしい。端正なルルとはまた違った、幼児的な可愛らしさのある顔立ちだった。 「よくぞ来ました、戦士さん。しかしここは通しません。この道を通りたければ私を倒して行くことです」 ひさしぶりに来る冒険者のはずなのに、ドラゴンは律儀に決まり台詞を口にした。 「あれ、あなたはゾンビのアールさんですか? どうしてこんなところにいるんです?」 俺はデーモンさんの時はできなかった説明を、ドラゴンにしてやる。 「そういうことですか。それなら、アールさんも私の敵ということですね。わかりました」 ドラゴンは特になんの疑問も動揺も感じてないようだった。相変わらずまっすぐな奴だ。 「ねぇねぇアールさん、あの子、なんで半人半竜なんですか?」 ドラゴンを見つめながら、ルルが不思議そうに問いかけてくる。 「俺もよくは知らないんだが、どうしてか完全な形で卵から生まれなくてな。なんでも殺した人間の怨念が強すぎて、卵の中に人間の意思が宿ってしまい、あんな形になったって言われてる。他のダンジョンではこんなことないらしいんだが、どうしてここでだけこうなったのかは」 「あぁ、なるほど。人気取りってことですね」 「えっ?」 「小っちゃくて可愛い子出しとけば読者喜ぶだろっていう作り手の安易な考えでああなったんですよ、きっと。読者への迎合、もしくは媚びですね。書き手のプライドとかないんでしょうか。情けない」 「いや、そんなことないと思うけど……」 そもそも作り手とか言っちゃダメだろ……。 「でもあんな小さい子倒しちゃって大丈夫でしょうか? 嫌ですよ、私。都知事とかに怒られるの」 「怒られないよ! だいたい都知事だってここ見てないだろ」 「見るかもしれませんよ。あの人だって昔は物書きだったんですから。しかも驚いたことに芥川賞まで取ってるんですよ。びっくりですよね」 「……もう都知事の話はいいよ。もし数年後に都知事変わった後に見た人混乱するし……」 「それもそうですね」 そう言うと、ルルはさりげない動作で剣を抜いた。 「作戦会議は終わりましたか?」 「えっ、あ、あぁ」 「ならば戦士さん、アールさん。正々堂々と、いざ尋常に勝負です!」 言葉とともにドラゴンが羽を広げる。そして俺たちに向かって突進してきた。 「うぉ、はやっ!」 鋭い爪が俺の顔のすぐ横を通りすぎる。と思った次の瞬間、ドラゴンの口から炎が吐き出されていた。 「あっつ!」 俺は火に巻かれそうになりながらもなんとか横に避けたが、ルルはそうせず、なぜかその場で剣を振った。 「おぉ……」 思わず感嘆の声がもれる。ルルは剣で炎を斬り裂くという離れ業をやってのけていた。 すげぇ、格好いい。 しかしそう思ったのもつかの間、今度はドラゴンがルルめがけて突進していた。牙と爪、そして合間に吐き出される炎がルルを襲う。 「くっ……」 ルルが苦戦している。なんとか助けに入りたかったが、両者の動きが速すぎて俺が立ち入れるレベルの戦闘ではなかった。 やがてドラゴンの爪がルルの頬を浅く切る。しかし次の瞬間ルルは反撃し、竜の体めがけて剣を振り。 駄目だった。剣が届くよりも早く、ドラゴンはその羽を動かしてルルの攻撃をかわしていた。 両者の体が離れる。その隙に俺はルルに近づいた。 「ルル、大丈夫か?」 「なんとか……でもさすがに強いですね」 「いけそうか?」 「このままじゃまずいです。たぶん……やられます」 「まじかよ……」 ルルは肩で息をしていた。対するドラゴンは少しも息を乱していない。 「な、なぁ、なんか必殺技とかないのかよ?」 すがるような気持ちで俺はルルに問いかけた。 「あるにはあります」 「本当か? じゃあそれを出せば」 「駄目です」 「えっ?」 「その技は出せません。致命的な欠陥があるんです」 「欠陥って……?」 「技を出すと、その人間の寿命が縮んじゃうんです」 ルルの顔は真剣で、その欠陥が与える影響の大きさをよく表していた。 「ど、どれくらいだ……? 十年か、二十年か……? それともまさか寿命が半分になったり……」 「いえ、七分です」 「七分かよ! なんだよその半端な縮まり方! そんな程度なら悩まないで使えよ!」 「何言ってるんですか。乙女の七分がどれほど大事なものかわかってるんですか?」 「わかんねぇけど、そんなこと言ってる場合じゃないだろう! このままじゃ俺たちやられるぞ!」 「うーん……でもなぁ……」 「考えるなよ! 頼むから使ってくれ!」 「はぁ、仕方ないですね。わかりましたよ」 そう言うと、ルルは急に何事かつぶやき始めた。それとともになんだか剣から異様な空気が立ちのぼっていき。 そしてやがて剣の先から血が滲み出してきた。どんどんどんどん血は溢れてきて、やがてそれらは形を取り、刃になった。 「す、すげぇ……」 何本もの血の刃が宙に浮かんでいる。刃からはぽとりぽとりと血がしたたっていて、なんだか異様な光景だった。 「ハァッ!」 ルルが叫び声を上げる。それに反応し、血の刃たちが空気を切り裂きながらドラゴンめがけて飛んでいった。 「な、これは……」 ドラゴンが戸惑っている。その隙に竜の硬い皮膚を血の刃が切り裂く。 「くっ、うぅ……!」 斬撃はやまず、ドラゴンの体を斬り続ける。そのうち何回斬ったのかも数えられなくなった。 三十回ほど斬っただろうか。やがて斬撃は止まり、血の刃は溶けるように消滅した。 後に残ったのは傷だらけのドラゴンの体。まだ動き、宙に浮かんでいる。しかし、すぐに羽の動きが止まり。 どさり、とその体が地面に落ち、それきり動かなくなった。 「や、やった……!」 「ふぅ……」 「すげぇ、すげぇよ、ルル。お前こんな技を隠し持ってたのか」 「隠してたわけじゃないですよ。ただ出したくなかっただけです」 「七分くらいいいじゃねぇか。なぁ、なんて名前の技なんだ?」 「ブラッディソードです。私の家であるエヴァンス家に代々伝わる技で、なんでも今までに剣で斬り、刃に溜まった魔物の血と念を蘇らせて、操る技だそうです」 「へぇ、お前の家ってすごいんだな」 「ただのしがない戦士の家系ですよ」 そう言ってルルは剣を鞘に納める。その時。 「うぅん……」 うめき声がした。ドラゴンが倒れたあたりだ。 まさかと思って見ると、ドラゴンの体が動いていた。まだ生きている。 「あれでも死ななかったのかよ……」 ドラゴンはその場に起き上がると、きょろきょろと首を動かして、それから俺たちを見た。 「もしや私は気絶していたのですか……?」 「あぁ、そうだ。なんだよ、まだやる気か?」 警戒しながら問いかけたが、ドラゴンは首を横に振った。 「いえ、すでに私の負けです。すごい技でした。もう少しダメージを受けていたら死んでいたところでした」 「そうか……じゃあ、この道を通してくれるんだな?」 「はい。でもその前にお願いがあります」 そう言うと、ドラゴンはいきなりルルに頭を下げた。 「戦士さん、どうか私を妹にしてください」 「えっ、妹?」 「はい、実は私、ある書物を読んで以来、お姉様という存在に憧れてまして。戦士さんは私の理想のお姉様像にぴったりなんです」 「ある書物って?」 「マリアン様がみてるという書物です」 その書物の名前は俺も知っていた。一時期ダンジョン内で流行ったことがあって、でも俺にはまわってこなかったので読んだことはない。 「あなたの理想のお姉様像ってどんなの?」 「綺麗で強くて優しくて、それでいて凛々しいお姉様です」 「ふぅん。なるほど」 綺麗、強い、凛々しいは置いといて、優しいはさすがにないと思う。 「駄目でしょうか……?」 「いいわよ」 てっきり断るかと思っていたが、ルルはあっさりと承諾した。 「本当ですか? わぁ、ありがとうございます」 「おいルル、いいのか?」 「いいじゃないですか。ねぇドラゴンちゃん、妹になるってことは私の味方になるってことでいいのよね? 私たち、この後ラスボスと戦うんだけど、一緒に来てくれるわよね?」 「はい、もちろんです。妹はお姉様につき従うものですから」 それを聞いて嬉しそうにルルが笑う。あぁ、なるほど、これが狙いか……。 「これからよろしくお願いします、お姉様」 「こちらこそよろしく、ドラゴ」 「ドラゴ?」 「あなたの新しい名前よ。ドラゴンのままだと味気ないでしょ」 「わぁ、お姉様に名前を付けていただけるなんて、ドラゴ嬉しいです」 ルルとドラゴが笑い合っている。その光景を、俺は複雑な思いで見ていた。 「……なぁ、ルル。これいいのか……?」 「何がですか?」 「お前とドラゴの関係……」 「私とドラゴの関係がなんだっていうんですか?」 「……だってこれってまるっきり、〇ィス〇イア4のフー〇とデス〇のパク」 言葉が途中で泊まる。ルルの握る剣が、俺の顔に突きつけられていた。 「おっとー。アールさん、そこまでですよー」 「お、おい、何を」 「ごめんなさい。でもアールさんが言っちゃいけないこと言いそうだったから」 「い、いけないのはお前だろ。これはどう考えたってそのまますぎる。パクリはまずいって」 「あーもー。黙ってればわからないのにどうして言っちゃうんでしょうかねー。まったく困った人ですねー。いっぺん死んでみないとわからないんですかねー」 ルルがぺちぺちと剣で俺の頬を叩く。それから剣先は俺の皮膚をつたって額のあたりで止まった。 「このいけない脳みそ、ぶちまけちゃってもいいですか?」 「よ、よせ、やめろ」 「じゃあさっきの発言を取り消してください」 「で、でもやっぱりパクリは……」 「パクリじゃないですよ。オマージュですよ、オマージュ。もしくはインスパイア」 「そんな屁理屈……」 「イッペン、シンデミルゥ?」 「ま、またパク……」 「シンデミルゥ?」 笑顔で突きつけられる剣先。すでに先端は皮膚に刺さっていた。 「わ、わかった! わかったから!」 「何がわかったんですか?」 「これはオマージュだ! インスパイアだ! パクリじゃない!」 仕方ない。体面よりも命が大事だ。いろいろな方面の方々、俺の力不足です。ごめんなさい。 「わかればいいんです」 笑ったまま、ルルが剣を鞘に納める。俺はようやくほっと息をついた。 はぁ……なんかもう、この冒険早く終わらせないといろいろな意味でまずいな……。 そうして三人パーティーとなった俺たちは、いよいよラスボス戦へと向かうのだった。
「ねぇ、ドラゴ」 ラスボスがいるエリアの手前を歩いている時、ルルが言った。 「なんです、お姉様?」 「あなた、ラスボスが戦ってるところ見たことある?」 「いえ、ないです」 「そう。じゃあ結局どのくらいの強さかはわからないのね」 「アールさんも知らないんですか? たしかアールさんとラスボスさんは幼なじみのはずじゃ」 「俺も知らないんだよ。子供の時に体育とかで組手のようなことやってたのは見たけど、それ以降あいつがどれくらい強くなったのかは知らない」 「もしかしたらそんなに強くないんじゃないですか? アールさんが見たのだって子供の時なんでしょう? 人を見下すような人だったんですよね。そういう人は往々にして自分の能力を過信して、努力しないものです」 「うーん……どうだろうなぁ……」 たしかにルルの言うことも一理あるかもしれない。あいつは努力なんていう言葉とは無縁のゾンビだ。まぁ、それは努力しなくてもいいほどの才能があったということなのだが。 「どちらにせよ、油断はしないほうがいい。ここでやられたら今までやってきたことが全部水の泡だからな」 「わかってますよ」 「はい、油断せずドラゴも頑張ります!」 そうして俺たちはラスボスがいるエリアに入る。少し緊張しながらエリアを進み、そして。 俺たち三人は、ラスボスゾンビと対峙した。 「来たか、戦士ルル。それに裏切り者のゾンビにドラゴン」 ラスボスゾンビが口元に笑みを浮かべながら俺たちを見る。子供の頃から変わらない、やけに整った顔つきだ。学生時代はその風貌から貴公子などと呼ばれていた。 「どうして私の名前を?」 「ラスボスは常にダンジョン内の状況を把握しているのだ。君たちの戦いぶりも見せてもらったよ。実に見事だった。このダンジョンの程度の低さを改めて実感したよ。そしてやはりここを取り壊したくなった」 「ここを取り壊したらボンビさんも困るんじゃないですか?」 「ボンビ……?」 「ラスボスゾンビ。略してボンビさんです」 「……」 ルルの言葉に、俺は思わず吹き出しそうになる。ラスボスを前にしてもルルはいつもどおりで、いつもはやっかいなその性格も、なんだか今は心強かった。 「……まぁいい。ここを壊しても僕は困らないよ。もうすぐ僕はここを離れてもっと上のレベルのダンジョンに行くことが決まっているからね。だからここがどうなろうと知ったことじゃない」 「ここのモンスターの人達が路頭に迷いますよ。今は死んじゃってますけど」 「知ったことか。下賤の者どものことなど僕にとってはどうでもいい」 「あぁ、やっぱりアールさんのお話通りの人なんですね」 「そういえば、人を見下してばかりいたとか言っていたね。ひどいじゃないか、アール君」 「何がひどいんだよ。本当のことじゃねぇか」 「それは君がひがんでるだけだ。まぁそれでもただひがんでるだけならばまだよかったものの、冒険者の味方につくとはね。少々おふざけがすぎるんじゃないかな? まったく本当に君はいつまでたってもダメゾンビのままだ」 「黙れ。ここを潰そうとしてるお前なんかよりはずっとましだ。お前はラスボスの器じゃねぇ。おとなしく倒されて、核のまま永遠にダンジョン内をさまよいやがれ」 「ふん、言うようになったじゃないか。人間の従僕の分際で僕を蔑むとは」 「従僕じゃねぇ。友達だ」 「そうか。だったらその友達もろとも、君を八つ裂きにしてやる」 そう言うとともに、ボンビの体から異様なまでの闘気が表出し始めた。 「く、くるぞ。気をつけろよ、ルル、ドラゴ」 「きゃぁっ!」 「えっ?」 すぐ隣から叫び声が聞こえた。視線を向ける。ドラゴが倒れていた。 そのそばにはボンビが立っている。拳に血がついていた。 「ド、ドラゴ!」 その血を見て、ようやくドラゴが殴られたのだと気づいた。まったく見えなかった。結構な距離があったのに、ドラゴに近づいた時の動きさえ俺の目には映らなかった。 「気絶させただけだよ。ドラゴンは復活させられないからね。彼女には別のダンジョンでも働いてもらわなきゃならない。まぁ、その前に人間側についた罰を与えてあげる必要があるけれど」 「てめぇ、よくもドラゴを……」 「ふん、まるで仲間がやられたというような台詞だな。まさかいつも一人ぼっちだった君からそんな台詞が聞けるとは思わな」 ボンビの言葉は最後まで続かなかった。 ボンビの首筋。そこにルルの剣先が迫っていたのだ。 斬った。そう思ったが、ボンビの首は胴から離れてはいなかった。白刃取りのようにして、ボンビの両手が剣を受け止めていた。 「危ない危ない。やはりかなりの速さだね、君の剣は。しかし僕には通じない」 剣を受け止めたまま、ボンビの足がルルを蹴り上げる。それをルルは体をひねるようにしてかわした。 「ルル、下だ!」 今度は見えた。だけど俺の叫びは間に合わなかった。蹴撃とほぼ同時にボンビの体はルルの懐に入って、その腹に拳を打ち込んだ。 ルルがよろめく。そのよろめいた体に、ボンビは再び蹴撃を放った。 「ルル!」 ルルの体がふっとび、壁に叩き付けられる。うぅ、といううめき声が聞こえた。 「ふん、他愛もない」 ボンビは相変わらず口元に笑みを浮かべている。その笑みに、俺は恐怖を感じた。 強い。強すぎる。子供の頃なんかとは比べ物にならない。ドラゴンやデーモンならいざしれず、ゾンビがこんなに強くなれるものなのか。 「いたた……」 ルルがよろよろと起き上がる。顔をゆがめていて、ひどくつらそうだった。 駄目だ。このままじゃやられる。そう思い、俺は叫んだ。 「ルル、ブラッディソードだ!」 あれならこいつにもダメージを与えられるはずだ。 「えー……」 「馬鹿! この期に及んで出ししぶってる場合か!」 「わかりましたよ、もう……」 ルルが何事か呟き始める。そしてドラゴの時と同じく、剣から血が滲み始め。 「ハァッ!」 ルルの声とともに、刃となった血がボンビに襲いかかる。 「ふん」 ボンビが鼻を鳴らすのが聞こえた。そして。 血の刃はその体を敵に叩き付ける前に、拳によってまたたく間に粉々にされた。血の飛沫がボンビの顔に飛び散っている。ボンビは、その血を舌で舐めていた。 「そ、そんな……」 目の前の光景に、思わず声がもれる。ルルも驚いた顔をしていた。 「残念だったね。ドラゴンは倒せても、僕にはまるでダメージを与えられなかったようだ」 ボンビがまた笑う。なんだよ、と俺は心の中でつぶやいた。 なんだよこれ。なんでこいつこんなに強いんだよ。まさか、ルルが相手にすらならないなんて。 目の前にいる幼なじみの強さを、俺は夢の中のもののように感じていた。 「では、次は僕から行くよ」 言葉の終わりとともに、一瞬の動きでボンビがルルに近づく。そしてルルの腹に膝蹴りを食らわせた。 ルルが腹を抑え、しかし今度は側頭部を蹴り上げられる。それから顎への拳。 「ルル!」 叫んだ。でもそれ以外に何もできなかった。足が震えている。 助けに行かなければ。攻撃はできなくても、ルルの身代わりくらいにはなれるはずだ。 でも駄目だった。足が動かない。震えたまま、一歩も前に進めない。 バコン! ひときわ大きな音が響いた。ルルの顔面を、ボンビが殴った音だった。 ルルが倒れる。口元から、血が流れているのが見えた。 「なんだ、もう終わりかい?」 「こほっ! かはっ!」 ルルが苦しそうに血を吐きだしている。それを見ても、俺は動けなかった。 「まぁいい。遊び相手はもう一人いる」 そう言うと、ボンビが俺を見た。その瞬間、足だけでなく全身も震えた。 「なんだ、怖いのかい?」 面白い、という表情でボンビが言う。そして俺に近づいてきた。 来るな。そう言った。でも言葉にはならなかった。恐怖のせいで、口すらまともに動かない。 「うぉぉっ!」 しかし、気づくと俺はボンビに殴りかかっていた。意識してやったことではなく、恐怖に突き動かされた結果だった。 「馬鹿が」 声が聞こえたと思った瞬間、顔面に衝撃が来た。頬を殴られたのだ。 ひどい痛みととともに、体がふっとぶ。ルルのすぐ近くの地面に、俺の全身は叩き付けられた。 「はは、情けない姿だね」 俺とルルを見て、ボンビが言う。恐怖と痛みのせいで、もう悔しさも湧いてこなかった。 「そうだ、いいことを思いついた」 整ったボンビの顔が、ひどく下品にゆがんだ。 「戦士ルル、こいつを殺せ」 「えっ……?」 「こいつを殺せばお前の命は助けてやる。それだけじゃなく宝もやろう」 「アールさんを、私が……?」 「そうだ。八つ裂きにしろ。そうすれば宝をくれてやる。悪い話じゃないだろう?」 ルルが俺を見る。表情からは、何を考えているかはわからなかった。 「本当に、宝をもらえるんですか……?」 「約束しよう。こんなダンジョンの宝など、私にとってはどうでもいいものだからな」 「わかりました」 ルルの声。うそだろう、と俺は思った。 「お、おい……ルル」 「すいません、アールさん。私のために死んでください」 「じ、冗談だよな? まさか、いくらお前でもそんなこと」 ルルが剣を構える。その目は本気だった。 「や、やめろ、ルル!」 俺の叫びは届かず、ルルは剣を振り下ろした。右腕が斬られる。すぐに左腕も斬られた。 「くっ……!」 「ごめんなさい。許してください」 「や、やめろ……お前、俺のこと友達だって……そう言ったじゃねぇかよ……」 「もう友達やめます。やっぱりゾンビとは友達にはなれません。すいません」 「そんな……」 あはは、というボンビの笑い声が聞こえた。その笑い声の中、ルルの剣が俺の右足と左足を斬り落とす。 「ルル、お前……許さねぇぞ……」 「うるさいです。もう死んでください」 ルルが剣を振る。その動きで、俺の首は胴から離れた。 落ちた首を、ルルが蹴りとばす。そうして俺の首はころころとボンビのすぐそばまで転がった。 「くくく……なんともいい姿じゃないか、アール君」 俺の首はぐりぐりとボンビに踏まれ、土まみれになる。 「なんとか言いたまえよ、ん? あぁ、すまない。もう死んでしまったんだったね、くく、ははは!」 「ボンビさん、宝が欲しいんですけど」 「あぁ、わかっている。この先にあるからさっさと持って帰りたまえ。僕はもう少しこれで遊んでいるから」 「案内してくださいよ。私、方向音痴なんです」 「すぐ近くにある。迷うことなどない」 「駄目です。案内してください」 「……ちっ。まぁいい。君はアールを見事に殺してくれたからな。私のガイド付きで宝をくれてやろう」 「ありがとうございます」 ルルがボンビに頭を下げる。その時一瞬、ルルの視線が俺を見た。 「では行こうか」 ボンビが俺に背を向ける。ルルと目が合う。その瞬間、俺は動いていた。 「な、なんだ?」 素早く立ち上がり、ボンビの体をはがいじめにする。 「ルル、今だ!」 俺が叫ぶより先に、ルルは動いていた。握った剣で、ボンビの体に斬り付ける。 「ぎゃあぁぁっ!」 ボンビの叫び声がダンジョン内にこだまする。傷は深く、俺が腕を離すと、ボンビの体はそのまま立つこともできずに地面へと倒れた。 「な、なんで……これは……いったい……」 血を流しながら、ボンビはうつろな目をオレに向けている 「君は……死んだはずじゃ……」 「俺はちょっと特殊な体質でね。脳をやられない限り死なないんだ。そして、脳が無事なら体を瞬時に再生できる」 「ば、馬鹿な……そんな体質、子供の時にはなかったはず……」 「もちろん生まれつきじゃない。このダンジョンに来てから、鍛練によってこういう体質になったんだ」 「まさか、わずかな鍛練でそんな……」 「俺だってこの五年間、何もしていなかったわけじゃない。お前はゾンビ大学に行かなかった俺を馬鹿にしていたが、俺だって努力してたんだよ」 ボンビが苦虫をかみつぶしたような、悔しそうな顔をした。 「君ごときに……僕がやられるなど……」 「もう人を見下さないっていうなら、復活させてやってもいいぜ。それと、俺の部下になるのも条件だ」 「ふ、ふざけるな……誰が君の部下なんぞに……」 「そうかい。だったらしばらくダンジョン内をさまよってな。いつか気が向いたら復活させてやる」 「く、くそ……こんな……クズどもに……僕……が……」 ボンビの声が途切れ、それきり何も言わなくなった。 俺はルルのほうを見る。ルルは、笑っていた。 「やりましたね、アールさん」 「……なぁ、ルル、なんで気付いたんだ?」 「何をです?」 「俺が生きてること、それに体をすぐに再生できるってこと、お前知ってたよな? だからわざとあいつのそばに俺の頭を蹴りとばしたんだろ?」 「えぇ、そうですよ」 「どうして知ってた?」 「最初に会った時、私がアールさんの腕を斬ったのにすぐ再生したのを見てましたから。あの時、もしかしたらアールさんは瞬時に自分の体を再生できるんじゃないかって思ったんです」 「でもいくらなんでもあそこまで斬られたら、ゾンビだって普通死ぬ。なんで頭部が無事なら大丈夫ってわかった?」 「脳みそだけは駄目だ」 「えっ?」 「アールさん、前に私にそう言いましたよね。それを思い出したんです」 「そんなこと言ったかな?」 「言いました。それで思いついたんですよ。アールさんは脳みそさえ無事なら死なない。そして瞬時に肉体を再生できる。これを利用すればいけるって」 「もしその考えが間違ってたらどうしてたんだよ」 「その時はアールさんには死んでもらうつもりでした」 「お前……」 「冗談です。大丈夫だと、はっきりと確信がありましたから」 「本当かよ」 「本当ですよ。アールさんを殺すわけないじゃないですか。アールさんは、私の大切な友達ですから」 そのルルの言葉は、やけに俺の心に響いた。でも俺はそれを表情に出さず、隠す。 こんな子供の言葉に心を揺さぶられるなど、照れくさかった。 「……子供のくせに、生意気なこと言いやがって」 「生意気?」 「じ、冗談だよ。剣を脳みそに向けるな!」 わかりましたよ、とルルが剣をしまう。それを見て、俺はため息をついた。 「まったくお前は……」 「なんですか?」 「なんでもないよ」 ため息をつきながらも、俺の顔は笑っていた。そしてルルの顔も。 「さぁ、ラスボスも倒したことですし、ドラゴを起こして宝を手に入れましょうか」 「あぁ、そうだな」 「これでやっと帰れますね。あー、疲れた」 そんなことを言いながら、ルルがドラゴを起こしに行く。改めて見ると、ルルの体は本当に小さな、子供の体だった。 アールさんは、私の大切な友達ですから。 さっきのルルの言葉を思い出す。そうすると、なんだか嬉しくなった。 ありがとな、ルル。 目の前にいる小さな友達に向かって、俺は心の中でそう声をかけた。
「お姉様……本当に帰ってしまわれるのですか?」 気絶から目覚めたばかりのドラゴが悲しそうな声で言った。 「ごめんね、ドラゴ。人間がダンジョンに住むわけにはいかないから」 そう言うルルの手には、このダンジョンの宝であるクリスナーガが握られている。 俺たちはダンジョンの入口にいた。ラスボスを倒した後、ドラゴを起こし、このダンジョンにあるクリスナーガをルルが手に入れて、そしてルルを見送るためにこの場所に戻ってきたのだ。 「……そうですか。でもそのうち必ず遊びに来てくださいね」 「うん、来るわ。このダンジョンをアールさんがどう立て直すのか興味あるし。ね、アールさん?」 「あぁ、きっとお前が驚くほど活気のあるダンジョンにしてみせるよ」 「楽しみにしてます」 「宝、途中で落とすなよ」 「わかってますよ。アールさんのサポートを無にしたりはしませんから」 「俺は別に何もしてないだろ」 「そんなことありません。いいサポートでしたよ。アールさんのおかげで、家を追い出されずに済みます」 「そうか」 「そうです」 「そういえばお前、これからどうするんだ? また別のダンジョンに行かされたりするのか?」 「まぁ、いずれはそうなるでしょうね。でもしばらくはゆっくりします。二年くらい」 「二年もかよ」 「いいじゃないですか。頑張ったんだから。少しはぐうたらさせてくださいよ」 「まぁ、そうだな」 たしかにルルは頑張った。ずるもしたけど、宝を手に入れられたのは間違いなくこいつの力があったからだ。 そして俺がこのダンジョンを立て直せるのも、ルルのおかげだ。 「感謝してるよ、ルル」 「なんですか、気持ち悪いですね」 「そう言うな。本当にそう思ってるんだからよ」 「それでも気持ち悪いです」 「最後までひどいな、お前は……」 くすりとルルが笑う。俺のその笑顔に向けて微笑みかけた。 「それじゃあ、私はこれで」 「あぁ、またな」 「お姉様、またお会いできる日を楽しみにしてます」 ルルが手を振り、歩き出す。小さな背中が遠ざかっていく。 俺はその背中を、大切な友達の背中を、姿が消えるまでずっと眺め続けていた。
〈了〉
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